マンガ、映画の感想をベースに、たまにいろいろ書いてます。


『夜は短し歩けよ乙女』 ああ麗しの電気ブラン

評価:4.0

森見登美彦原作。

お酒を飲むことをこれほど肯定的に描く作品も最近珍しくなったと思いながら、冒頭から同じようなペースで芋焼酎ハイボールを飲みながら楽しんだ。

原作ももちろんお酒が進む作品ではあったのだが、映像のコミカルさがそれに輪を掛けて酒を礼賛しているように感じる。

基本的には原作踏襲で物語は進むが、かなり突拍子のないエピソードの連続なので、これをどう映像化するのかという想像を超える演出になっていた。

映画を観ていたら電気ブランを飲みに神谷バーに行きたくなった。誰か一緒に行きましょう。

『真夏の方程式』 電子書籍で読みたいんだけどなぁ

評価:4.0

東野圭吾の『ガリレオ』シリーズの映画作品。

もう10年も前の作品なので、登場する役者がなかなか若いのだが、福山雅治の印象は今とほとんど変わらないから不思議である。

真夏のある漁村を舞台にした物語。

東野圭吾電子書籍化反対派の筆頭なので、ほとんど読まなくなってしまって久しい。

書籍のほとんどを電子書籍で読むようになったからなのだが、それでもたまに読みたくなる。特にガリレオシリーズは読みたいのだが、電子書籍化されていないんだよなぁという無限ループに陥ってしまう。

と言いつつ、最近は電子書籍を買っただけで満足してしまって、ほとんどが積ん読になってしまっているので、どの道読まないということにもなりそうなのだが。

いや、映画やドラマも観たいものは多いのに、消化する時間が圧倒的に足りなくなってきている。どう考えても全ては消化できないよなぁと思えてしまうほど積んでる。ゲームも同様。

そして、時間があると夜は飲み、昼は眠くなってついつい惰眠を貪ってしまうのである。

それがいわゆる晩年の方程式とでも言えるかもしれない。

『マリグナント 凶暴な夢』 新たなる恐怖の形

評価:4.0

死霊館』シリーズでお馴染みのジェームズ・ワン監督が提供する新たなる恐怖の形。

20世紀にとある施設で凶暴な子どもに処置を行ったような謎めいた映像から始まるが、関連性がわからないまま舞台は現代に移る。

何度か流産を経験したマディソンが待望の子どもを妊娠しているが、DV夫によって後頭部を壁に叩き付けられてしまう。

意識が朦朧とする中、マディソンは夫が何者かによって襲われる夢を観るのだが……。

死霊館』シリーズとはまた少し違った雰囲気のホラーサスペンスだが、今回のモンスターはかなり斬新な設定に思えた。

夢が現実と交錯するサスペンスはやはり面白い展開になりやすいし、それでいて余りにも現実離れすると荒唐無稽になる傾向にもある。

その絶妙のバランスが実現された作品だった。

この感じだと、次回作もあるんだろうなぁ。

『あなたの番です 劇場版』 もしあの日に戻れたら

評価:3.0

ドラマ『あなたの番です』のアナザーストーリー。

もしあの夜のマンション自治会に菜奈ではなく、翔太が出て「代理殺人なんてありえない」と論破していたら……。

数年後、菜奈と翔太が無事に結婚式を挙げることになり、マンションの住人は豪華クルーズ船での披露宴に招待されるのだが。

基本的にはドラマ版のスピンオフ作品というテイストだが、本編好きがニヤリとするシーンやしかけも多い。

パラレルワールドなので、本編で残った謎が出てくるわけではなく、完全に独立した作品として観ることができる。

『死霊館 悪魔のせいなら、無罪』 Conjure なのか Curse なのか

評価:4.0

死霊館』シリーズの最新作。

1981年にブルックフィールドで起きたある殺人事件を題材にした物語。

原題は「The Conjuring: The Devil Made Me Do It」(悪魔が私にやらせた)。

個人的には今回の邦題はイマイチな気がしている。「悪魔が俺に殺させた」くらいでいかがだったろうか。ともあれ。

エド&ロレイン・ウォーレン夫妻は、デイビッドという少年の悪魔祓いを行うためにグラッツェル家を訪れていた。

しかしデイビッド少年に憑いていた悪魔は非常に強力で、激しい抵抗を受けてしまう。この騒ぎの中で、デイビッドの姉デビーに想いを寄せるアーニー・ジョンソンが悪魔を自分の中に取り込んでしまうところから物語は始まる。

アーニーはその後、デビーが働く「BBケネル」の経営者ブルーノを殺してしまうのだが、これが悪魔による仕業だとウォーレン夫妻が法廷で証明することになる実話を元にしているという。

残念ながら法廷の記録は既に破棄されているらしいが、少年の悪魔祓いを行なった音声は残っているし、デビーやアーニーからの証言も得られている。

ただ、実際の殺人が起こった状況を考えると、アーニーとブルーノがかなり酒に酔っていたということや、アーニーが普段から割と粗暴な言動をしていたということから、本当に悪魔のせいだったのかどうかはよくわからない。
作中ではそういう疑念を抱かせるような描写はなく、完全に悪魔によるコントロール下に置かれていたものとして描かれている。

このシリーズに限ったことではないが、「curse」(呪い)と「haunted」(幽霊のいる)、「Demonic possesion」(悪魔憑き)には明確な違いがあるようだ。

「curse」は、人による呪いで、その呪いの結果として人を「Demonic possesion」の状態にすることもできる(今作はまさにそれ)。

「haunted mansion」は「呪われた家」と訳されることもあるが、どちらかというと「幽霊がいっぱいいる家」という感じらしい。「haunt」は「取り付く」という動詞で、「haunted by memories」などのように、取り付くのは必ずしも霊的なものばかりではないのだが、「by」が省略されていると大抵「幽霊に」取り付かれていることを指すようだ。

「possesion」は、サッカーW杯でもよく使われたので聞き覚えのある言葉だが、「所有」を指す。「ball possesion」は「ボールの支配率」である。「Demonic posssesion」は「悪魔に支配(所有)された状態」つまり「悪魔憑き」を意味する。悪魔が取り憑くのは人や物であり、「haunt」を使えば「haunted by the devil」になる。
なお、「死霊館」の原題の「Conjuring」は、霊や悪魔などを呪文で呼び出す「conjure」から来ている。

なぜこんな話を始めたかというと、この作品では「curse」は「解くことができるもの」として捉えられているからである。「Demonic possesion」は神父による聖書や聖水を用いた悪魔祓いが有効だが、「curse」は必ずしもそうではない。

儀式によって「呪われた」ため、それを「解除」する方法がある、というのはなかなか興味深い設定である。また、「呪い」は悪魔を呼び出して何らかの生贄を捧げて契約することなので、「呪い」が「解除」された後は「呪い」を行なった者が生贄の代わりに悪魔に魂を取り込まれてしまうというのも面白い。

そんなわけで、『死霊館』シリーズは西洋のオカルティック文化の勉強になるなぁ、というお話でした。

『アナベル 死霊博物館』 アナベル人形入館編

評価:4.0

エドとロレインのウォーレン夫妻のコレクションにアナベル人形が加わった頃の話。

娘のジュディはロレインの血を受け継いで霊感のある女の子に育っていた。

エドとロレインは、大学生のメアリー・エレンにベビーシッターに来てもらうように依頼して外出。そこにメアリーの親友のダニエラも一緒に来ることになり、事件が起こり始める。

ウォーレン夫妻が活躍するシリーズは、主に二つの系統がある。

いわゆる呪われた家がテーマの『死霊館』シリーズでは、家に取り憑いた悪魔や呪いをウォーレン夫妻が悪魔祓いするというストーリー展開である。

一方『アナベル』シリーズは、呪われた人形アナベルを巡って展開される物語である。

『アナベル 死霊館の人形』では、ウォーレン夫妻のところにやってくるまでのアナベル人形の呪われた出来事が語られた。

『アナベル 死霊人形の誕生』では、そのアナベル人形が造られた経緯が明らかになる。いずれも、ウォーレン夫妻も少し登場するものの、本筋にはあまり関わらないスピンオフ作品という位置付けだった。

今回の『アナベル 死霊博物館』は、ウォーレン夫妻のコレクションにアナベル人形が加わるということで、冒頭から夫妻大活躍ではあるのだが、事件は夫妻の不在時に展開するため、どちらかというと娘ジュディにスポットが当てられた作品となっている。

また、特徴的なモンスターとして、今回は殺人鬼のフェリーマンが新たに登場する。殺した遺体の目に死後の世界への船賃としてコインを置くサインを残す。このため、作中ではコイン眼鏡の遺体が数多く登場することになる。


死霊館』・『アナベル』シリーズは、ロレイン夫妻が関係するオカルティックな事件を中心に展開しているが、時系列や視聴する順番はあまり気にすることはない。しかし、個人的には問題点がひとつある。どの作品も題名が似たり寄ったりで、自分がその作品を観たことがあるかどうかすっかり忘れてしまう点である。

『ライク、シェア、フォロー』 現代版『ミザリー』

評価:3.5

www.youtube.com

YouTuberを主人公にしたサスペンス。もしかしたらYouTubeではなく、ほかの配信サービスかもしれないが、もはや一般名詞のようなものなので、ここではYouTube、YouTuberと表記することにする。

ギャレット・ホフマンは、YouTubeチャンネル『ホフマンズ・ヘッド』に出演するいわゆる人気YouTuber。どちらかというとハプニング系のYouTubeチャンネルだが、ライブ配信で固定フォロワーが何人もいる。

原題の『LIKE. SHARE. FOLLOW.』は、いわゆる「いいね、シェア、チャンネル登録よろしくお願いします」という常套文句である。ギャレットも動画の最後に必ず言うのだが、こういう言い方のほうがスマートでいいなぁと思わなくもない。

なんとなく、日本的な「この動画が気に入ったらいいね、シェア、チャンネル登録もよろしくお願いします!」という言い回しは、くどくてあまり好きになれない。

作品としては、現代版『ミザリー』のようなものと言える。『ミザリー』の頃のキャシー・ベイツがめちゃくちゃいいなぁと思っていて、とある映画好きな人と飲むたびにそういう話になるのだが、それは別の話。

だが、「ミザリー」的なキャラクターが魅力的であればあるほど、こういうストーリーは盛り上がる。この作品もまさにそれで、「彼女」もまた魅力的である。