マンガ、映画の感想をベースに、たまにいろいろ書いてます。


『一九八四年』ジョージ・オーウェル

評価:4.0

一九八四年 (ハヤカワepi文庫) [Kindle版]@Amazon (Amazon)
ジョージ・オーウェルの代表作。『動物農場』でスターリン社会主義独裁体制を風刺したオーウェルが、1948年に近未来の超統治国家を描いた作品。
主人公のウィンストン・スミスは、オセアニアの真理省(ミニトゥルー)で働く39歳の記録官。日々、党の歴史を改ざんする業務を行っていた。
世界はオセアニア、ユーラシア、イースタシアの三国に分かれており、それぞれが似たようなイデオロギーによる一党独裁体制を築いていた。
オセアニアはビッグ・ブラザーを頂点としたイングソック(English Societyのモジリ=IngSoc)体制で、思想・言語などのあらゆる市民生活が党によって監視・管理されていた。
この世界では、思考警察が双方向の映像・音声送受信機であるテレスクリーンによって市民の生活が監視されており、さらにニュースピークという言語によって、思考すら操作される。
ウィンストンは、日々の仕事の中で党に対する疑念を抱き始め、真理省創作局の黒髪の女性ジュリアと出会い、思考犯罪行為を重ねていく。やがてウィンストンは党の高級官僚であるオブライエンと接触を持ち、反党組織である「ブラザー同盟」の禁書を手にすることになる。
「思考」という人間的な自由すら奪われ、統治されるがままの人々の中にあって、ウィンストンは「人間」であることを貫こうとするのだが……。
社会風刺・体制批判という枠にとらわれない骨太の社会小説。

考えてみれば、過去は改変されたばかりでなく、つまるところ破壊されてしまったのだ。

一つの単語にはそれ自体に反対概念が含まれているのさ。

はっきりとした意識を持つようになるまで、かれらは決して反逆しない。そしてまた、反逆してはじめて、彼らは意識を持つようになる。

自由とは二足す二が四であると言える自由である。その自由が認められるならば、他の自由はすべて後からついてくる。

歴史は止まってしまったんだ。果てしなく続く現在の他には何も存在しない。

終わりは始まりのなかに包摂されているのだ。

結局のところ、階級社会は、貧困と無知を基盤にしない限り、成立しえないのだ。

二重思考とは、ふたつの相矛盾する信念を心に同時に抱き、その両方を受け入れる能力をいう。

ここにおいて、われわれは主たる秘密に行きあたる。これまで見てきたように、党の神秘的な雰囲気、とりわけ党中枢の神秘性は、二重思考に依存している。しかしそれよりももっと深いところに、本当の動機、即ち、まず権力を握らせてから、二重思考、思考警察、継続的な戦争状態、その他あらゆる必要な付属物を作り出した絶対不問の本能が潜んでいる。この動機を実際に成立させているのは……

「正気かどうかは統計上の問題ではない」このことばは深遠な叡智が含まれているような気がした。