マンガ、映画の感想をベースに、たまにいろいろ書いてます。


ブレードランナー ファイナル・カット

評価:5.0

ブレードランナー ファイナル・カット(字幕版)

ブレードランナー ファイナル・カット(字幕版)

  • 発売日: 2015/03/15
  • メディア: Prime Video

フィリップ・K・ディックSF小説アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』を原作としたSF。
その後映画原作の宝庫となったディック小説の初めての映画化作品である。

舞台は2019年11月のロサンゼルス。タイレル社の開発した人造人間レプリカントは、優れた体力と高い知能を与えられて宇宙開拓の現場で過酷な労働や戦闘にあたっていた。
特に高い知能を持つレプリカント最新型のネクサス6のうち、男女4名が人間社会に紛れ込んでいることから、特任捜査官「ブレードランナー」のデッカードに操作の命令が下されるのだった。

これも昔観たことがあったのだが、『ブレードランナー 2049』を観る前に再視聴した。
原作も電子書籍版を持っているのだが、未読。そちらもそのうち読みたいと思っている。

今回視聴したのは2007年のファイナルカット版。元々は1982年公開なので、『E.T.』と同じ年である。
舞台が近未来(2019年11月なので、既に過去となってしまったけど!)ということで、空飛ぶ車や人造人間が出てくるのだが、映像技術は1982年当時のものなので、CGではなくVFXである。うちの小学生の息子などは、この冒頭のシーンを観て、「こんなセット作るの3年くらいかかるんじゃない!?」と感動していた。
タイレル社でデッカードが出会うレイチェルは、見るからにレプリカントという容姿をしているが、自分のことがレプリカントであることを認識していないという自己矛盾を抱えている。こういう存在が映画的にフォーカスされないわけはないので、当然のようにデッカードの捜査に絡んでくることになる。

ファイナルカット版では、デッカードレプリカントなのではないかと臭わせる演出も入っている。
レイチェルが彼に、レプリカント検査を受けたことがあるかと聞くシーンがある。これにはレイチェルの希望も入っているものと思われるが、観客には「ひょっとするとデッカードレプリカントかもしれない」という疑惑を植え付けるに十分な台詞である。
また、デッカードが酒を飲んで微睡みながらユニコーンの夢を見るシーンがあるが、ラストシーンで彼の部屋の前に落ちていた折り紙(もちろん、作ったのはガフである)もまた、ユニコーンであった。これは、ガフが残りのレプリカントであるレイチェルの居場所を知っているということを示すとともに、デッカードの夢の内容をも知っている可能性も含んでいる。
だが、映画の中でこれを確定する要素はない。飽くまでも、そう想像することはできる、という演出になっている。

レイチェルはタイレル社長の姪の記憶を埋め込まれたレプリカントだったが、彼女の中には人間としての感情が芽生えており、4年という寿命も知らないままにこの後の人生を過ごすのだろう。デッカードとレイチェルがエレベーターに乗り込んで、闇の中に消えていくところでこの映画は終わる。
彼らのその後は、観客の想像に委ねられるのである。

想像の余地、余韻、余分(強力ワカモトのCMの存在感!)、いずれを取っても名作といっていい作品だった。

全体的に同じくリドリー・スコット監督の『ブラック・レイン』に似てるなぁと思って観たのだが、順序が逆だった。むしろ『ブラック・レイン』が『ブレードランナー』の焼き直し的作品だったんだろうなと感じた。あらゆる意味でこのふたつの映画はよく似ている。

やっぱり原作読もうっと。