マンガ、映画の感想をベースに、たまにいろいろ書いてます。


『モモ』 息子に物語は染み込んだのか

評価:5.0

小学校4年生の息子への『はてしない物語』の読み聞かせ(というより朗読)が終わったので、9月からは『モモ』を読んでいた。
長い物語も、寝る前の30分くらいで少しずつ読み進めることができるし、息子と一緒に物語を体験していくことができるので、朗読もなかなか面白い。
音読することで、物語の持つリズムや言葉の響き、間のようなものも感じ取ることができる。
もちろん普段の読書でもそれを意識しないことはないのだが、音読することでより一層感じることができる。
イタリアっぽいどこかの都市の外れにある円形劇場跡に住み着いたある女の子が、人間から「時間」を奪う時間どろぼうたちと対峙する物語である。
モモには特技があるのだが、それは人の話を聞く能力である。それはそこまで珍しい能力なのかと思えなくもないのだが、モモに話を聞いてもらった人は、自分の中にいつの間にか「答え」が見いだせるのである。
これは、他人の持つ潜在的な能力を引き出すことができる触媒的な能力だと考えることもできる。
一方、モモと敵対することになる時間どろぼうの灰色の男たちは、現代社会の枠組そのものと考えることもできる。
現代社会に生きる我々は、時間に追われることで本来自分の中にあった「物事を楽しむ心」を忘れてしまっているのではないか。
実際、日々の生活の中で、我々は思いがけないほど多くの時間を、スマホのゲームやSNSに費やしてしまっていないだろうか。
もちろん、その中にも「楽しむ」要素はあるのも認めるけれど、本来ほかのことを楽しむことができる時間を、毎日スマホSNSに割いてしまっているのではないか。
息子の生活を見ていても、勉強の合間やご飯を食べる間にもYoutubeを垂れ流している。確かにそれは楽しい時間ではあるかもしれないが、その時間がいつの間にか生活の中心を占めるようになってくると、やはりどうしたものかと思ってしまうのである。
そういうことに気づかせてくれた物語として、『モモ』は息子の中で消化されただろうか。
いや、消化はまだできていないかもしれない。今はただ、カシオペイアの甲羅のメッセージや、マイスター・ホラのどこにもない家のイメージ、灰色の男たちやジジやベッポのことが頭に残っているだけでも構わないと思う。
いつかまた、自分の時間の使い方について自制する日が来たときに、そういえば子どもの頃父親と時間どろぼうが出てくる話を読んだなぁと思い出してくれればいいなと思う。