マンガ、映画の感想をベースに、たまにいろいろ書いてます。


『夏への扉』 ロバート・A・ハインライン著、福島正実訳

評価:5.0

夏への扉 [Kindle版]@Amazon (Amazon)
この作品が1956年に書かれたことを考えると、奇跡的なSF名作だといえる。
第二次世界大戦後たった10年で、自動掃除機やCADのような製図機、外部メモリの登場を予見している。ダンが図書館で捲る新聞は、画面の右下を押すとページがロールするという。現代の電子書籍そのものにしか思えない。Kindle版の本書を読みながら、奇妙な感慨に耽ってしまった。
ここで描かれる「現在」である1970年(実際には作者から見て15年以上も未来)や「未来」である2000年は、現実では我々は経験しているわけだけれど、現実とハインラインの未来予想図の違いを比べながら読むのは相当楽しい。ハイヤードガールはいなかったが、AIBOはいた。ピートの喧嘩相手くらいにはなれたんじゃないか、とか。
そういえば、ダンと同じように、自分が設計したコンピュータと会社を乗っ取られながらも返り咲き、さらにそれを凌駕する製品を作り出した人物を我々は知っている。スティーヴ・ジョブズだ。ジョブズには、コールドスリープもタイムマシンも必要なかったのだ。彼の物語を知っている我々にとってみれば、ダンの物語はやや非現実的だと言わざるを得ない。
確かにご都合主義的な面はある。核戦争でアメリカの東海岸が壊滅したりする時代に、冷凍睡眠で30年も同じ場所に眠り続けるなんて、無防備すぎて正気の沙汰とは思えない。タイムパラドックスを避けるように描かれているし、その理由は「たまたま」だったりする。だが、タイムパラドックスを突き詰めていくとエンターテインメントとしての小説としては面白みに欠けるかもしれない。
それよりも、この作品のようにロマンスに傾くというのはいい決断だったと言える。
中盤にいきなりトウィッチェル博士が登場してからは、そうなるんだろうなぁという予定調和に向けての風呂敷畳みが展開するのだが、それはまぁ仕方ない。大切なのは、猫のピートが「夏への扉」が必ずあるはずだと試さずにはいられないという行動そのものであり、それは誰しもできるのだとダンが「肩を持つ」ことにあるのである。夏への扉が何であるかは人それぞれだが、その扉はその人自身が開けてみなければわからないのだ。
そういう情緒的な感覚がこの作品には満ちあふれている。
そして、幼い頃夢見た「未来」に実際に立っている我々は、「夏への扉」を探し当てられたのかどうか。いや、そもそもちゃんと探そうとしたのか? そう問いかけているように思わせる力が、この作品にはこもっている。