マンガ、映画の感想をベースに、たまにいろいろ書いてます。


 第7話 「暖簾の向こう」

お待たせしました。半年ぶりですいません。『ハルとラクダ』第7話です。

『ハルとラクダ』 index

 声がしたのはアダルトビデオコーナーだ。店の一番奥にある。レンタルビデオ店には必ずあるコーナーだ。
 レンタルビデオ店にとって、商品の価値は「回転率」と「持続率」で決まる。人気のあるハリウッド映画などは、新作の間は「回転率」が高いが、「持続率」はそれほど高くはない。話題に上らなくなればすぐに忘れ去られてしまう。そのため、新作の間にできるだけ本数を揃え、旧作になると本数を減らす。入荷する本数や、減らしていくタイミングは結構難しい。少なすぎると客から「借りられない」と苦情が出るし、かといって多すぎると利益回収率が低くなる。
 「回転率」も「持続率」も全般的に高いのがアダルトビデオだ。新作だからといって同じタイトルを複数揃えたりはしないが、人気のある女優のビデオなどは旧作になっても比較的借りられる。フェチものや企画ものにしても同様だ。本数は必要ないが、薄く広く揃える必要がある。ある意味、レンタルビデオ店にとって少ない投資で大きな収入が得られるジャンルなのだ。
 建前としては十八歳未満は貸し出し禁止なので、アダルトコーナーの入り口には、中が見えないように暖簾がある。
 レンタルビデオ店には、陳列にある種の法則のようなものがある。入り口の近くは洋画の新作を並べ、奥に行くに従ってジャンル別の棚が並ぶ。新作の棚の隣はアクションやサスペンス。次はコメディやラブロマンス、そして名作が続き、アダルトコーナーの手前はなぜか決まってホラーモノである。ホラーとエロはなぜか深い関係なのだ。
 ビデオショップマリオでもその法則が遵守されている。アダルトコーナーの入り口の暖簾近くにはホラーモノに続いて準アダルト作品を陳列した棚があり、さらにその奥には比較的対象年齢の高い人向けのアニメ作品が並んでいる。
「あれのヘンタイコーナーが向こうやな?」
 ぼくの頭の上の方で、アイビーエムが言った。相変わらず変な日本語だ。なのに、なぜか言いたいことはわかる。ぼくは頷いた。
 店の奥からの声は断続的に聞こえている。うめき声というのか、うなり声というのか。よく聴き取れない。男の声……かと思うと、急に甲高くなって女の声のようにも聞こえる。喋っているのか、つぶやいているのか。
 だがそれは間違いなくアダルトコーナーから聞こえているようだ。
 そういえば、と思う。ハルは女の子だ。ビデオ屋の店員としての経験上、この年頃の女の子はあまりアダルトコーナーには近寄らない。見て見ぬフリをするというか、そんなものは初めから存在してないという感じで暖簾の前を通過する。
 例えばぼくがアダルトビデオの返却テープを戻して、アダルトコーナーから出てきたとする。暖簾の前に女の子がいる。しかし、ぼくが暖簾から出てきた瞬間、彼女はぼくから目をそらして、何か忘れていた物でも思い出したようにそそくさとその場を離れる。そして恐らく全く興味のない棚からテープを手に取る。以前から探していた念願のタイトルをやっと見つけたかのように目をキラキラさせながら。そこには何かを拒絶する、はっきりとした意思が働いているように思える。彼女の目にはアダルトコーナーの入り口の暖簾などは見えないし、その中から出てきたぼくの存在すら汚らわしく近寄りがたく思える。きっぱりさっぱりくっきりとした拒絶。
 それがぼくの考える「フツーの女の子」像だ。
 しかし、ハルは違った。
 声がその「アダルトコーナー」から聴こえているとわかった瞬間、瞳を見開き、握りこぶしを作っている。この子は絶対何かを期待してる。間違いない。
「トーシバさん先頭ね。私も続くから大丈夫。アイビーエムさん遅れないでね」
 やれやれ。やる気が満ちあふれている。鼻息なんて五割増しだ。たぶん。
「さ、行って行って!」
「ヘンタ〜イ、進め!」
 乗り気なのはハルだけじゃなかった。
 ぼくは、ハルとアイビーエムに後押しされる形で恐る恐るアダルトコーナーの暖簾に近づいた。暖簾には「18歳未満はのぞいちゃダメ」と書いてある。こういう暖簾を探してくる店長のセンスが好きだ。しかし、むしろ好奇心あおるよなぁ、と思う。だいたい、実は年齢チェックなんてしてなかったりする。内緒だけど。借りるのが明らかに中学生や高校生でも、見て見ぬフリなのだ。さすがに小学生には貸せないなぁとは思うけど。
 一歩ずつアダルトコーナーに近づいていくと、声が少しずつはっきり聞こえるようになってくる。
 ラブロマンスコーナーを越え、ホラーコーナーに達する。そして準アダルトコーナー。『続・エマニュエル夫人』の前でぼくは足を止めた。「ゴクリ」とアイビーエムがつばを飲む音がする。
 はっきり言おう。ぼくはビビリだ。うめき声を聴いた瞬間から、ぼくの心臓は縮み上がりっぱなしだった。
 だいたい、店に誰もいないということは明らかなのだ。三人以外、誰もいないはずだ。それははっきりしている。アダルトコーナーには何度か返却ビデオを戻すために入ったが、何も不審なものはなかった。
 ハルとアイビーエムが店に来てからは、誰も店に入ってきていない。それは確かなのだ。

 では、一体誰が? どこから?

 恐る恐る暖簾の前に出る。そして手を伸ばす。そのときだった。棚を引き倒したようなバリバリという爆音がして、怒鳴り声があがった。

「一体何なのよ!」

 ビクリ、とぼくの肩が反応した。

 確かに聞こえた。アダルトコーナーの奥からだ。若い女性の声だ。ハルよりも張りがあってトーンも高い。というか、かなり怒ってる。怒鳴り上げていると言ってもいい。

「何よこれ! ありえない!」

 三人は目を見合わせた。ハルもアイビーエムも、事態が把握できないようだった。当たり前だ。ぼくだって何が起こったのかさっぱりわからない。

 女性がアダルトコーナーの奥で怒鳴っている。とにかく何かに憤慨しているようだ。辛うじてわかるのはそれだけだ。

 一瞬考えた後、ぼくはアダルトコーナーの奥に入っていくことに決めた。行きたくはないけど仕方ない。それ以外に事態を打開することはできないのだ。ハルとアイビーエムも後ろからついて来る。こいつらはむしろ嬉々としている。ヒトゴトだと思ってるのだろう。何かがあったとしても、店長から怒られるのはぼくなのだ。やれやれ。

 暖簾をくぐると、床にビデオケースが散らばっていた。一番奥の棚に陳列されていたビデオだった。怒鳴り声とともに聞こえた爆音は、たぶんこれだろう。壁際の棚が傾いて、そこに並んでいたビデオが床に落ちたのだ。

 散乱したビデオの真ん中に、女の子が座っていた。声の主は恐らくこの女の子だろう。スウェットの上下を着て、裸足だった。まるで寝起きのような恰好だ。歳はハルと同じく20歳くらい。髪を後ろで束ねている。化粧っけはないが、整った顔立ちをしている。かなり好みだ。スタイルもいい。大きな目を見開いてこちらを見上げていた。いや、睨み上げている。

「ちょっと! どうなってるのよ、これ。説明してよ!」

 と、申されましても……。こっちが説明して欲しいくらいなんですけど。

 ぼくはハルとアイビーエムの方に振り向いた。ハルもアイビーエムも驚いているようだ。そりゃそうだろう。誰もいないはずのアダルトコーナーに、女の子が座っているのだ。まるで自宅のベッドから転げ落ちたような恰好で。

 返答に困っていると、女の子が勢いよく立ち上がった。

「まぁいいわ。ていうか、トイレどこ? アンタ、今すぐ教えなさいよ」

 どうやら早急にトイレに行きたいようだ。両方のコブシを握り締めて足踏みをしている。一瞬殴りかかられるのかと思った。ぼくは彼女の握り拳から頭をかばうような姿勢のまま、店の入り口近くにあるトイレの場所を教えた。

 彼女は急いで暖簾をくぐり、一目散にトイレに駆け込んだ。裸足なので床にペタペタと足跡が付く。

 ぼくはあっけにとられてしばらく女の子の背中を見送っていた。

 一体何が起こったというのだろう。

 誰もいないはずのアダルトコーナーに突然現れた女の子。しかも美人ときている。これではまるで桂正和の漫画じゃないか。

 ぼくはアイビーエムを見上げ、肩をすくめて見せた。

 アイビーエムは、かがみ込んで一本のビデオを手に取った。『ロード・オブ・ザ・妊婦 王の痴漢』と書かたビデオだ。じっくりパッケージを見ている。にっこり笑ってぼくに手渡す。って借りる気かよ。

 そのとき、ハルがぽつりと言った。

「……私……あの人、知ってる……」

 その顔は、さっきまでのハルとはまるで別人のように曇っていた。