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『華氏451』(2018) ディストピアものの代表作

華氏451(2018)(字幕版)

華氏451(2018)(字幕版)

  • マイケル・B・ジョーダン
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評価:3.0

レイ・ブラッドベリ原作。

言わずと知れたディストピアものの代表作。

主人公は、本を焼く「焼火士」(宇野利泰訳版では「焚書官」)で、関し社会のシステム側の一員であるモンターグ。原作よりもさらに時代が進んでいて、「ナイン」と呼ばれるネット社会が形成され、人々は焼火士たちが本や文化的データが保管されたPCや記録媒体を焼くライブ中継を見てアイコンで「いいね!」を送る。

原作と異なるのはほかにも多々あるのだが、特にモンターグが独身なのはかなり根本的な違いと言える。原作では、冒頭で妻のミルドレッドが薬を飲み過ぎて瀕死になったと思えば、モンターグとの会話がしばしばかみ合わなかったりして、彼が本を焼く行為の正当性に悩みつつ、ミルドレッドに翻弄されていくのがひとつの軸となっている。クラリスとの対比がより印象的になるのも、ミルドレッドがいるからのはずなのだが、この作品では影も形もなくなってしまっている。

代わりに、『1984』のテレスクリーンのような「ユークシー」というカメラ付きのAIモニターが各家庭を監視している。現代社会をベースとして描く近未来ディストピアには、このような監視モニターがなければ説得力は生まれないのかもしれない。そう思ってみれば、原作は基本的には人と人とのコミュニティが監視社会を構成していて、映像化するには前近代的だとも言える。

また、原作では署長だったベイティ(宇野版ではビーティ)は、焼火士モンターグの育ての親であり、実の父親とも友人だったという設定になっている。これにより、父と子の対決という意味合いが強くなっている。一方、ベイティが引用を多用する最後の対決シーンに向けて、それを裏付けする描写が丁寧になされていることは評価できる。ベイティの人物像に深みが出たおかげで、文化的な知性を求めつつもそれを抑え込んだベイティと、知性を守り広める側に苦しみながら辿り着いたモンターグの対比がより鮮明になった。

一方で、原作では魅力的に登場したのにも関わらず忽然と姿を消すことで存在感を示したクラリスは、本作で存在を消されたミルドレッドの代わりにヒロインとなる。ただ、原作でのつかみどころのない性格は薄れてしまい、やや魅力に欠ける存在になってしまったようにも思える。

さらに言えば、中盤から出てくる「オムニス」という設定は本作独自のものであるが、個人的には蛇足にしか思えなかった。原作と同じように、人が一冊の本の記憶を受け継ぎ、それがゲリラ的に監視社会の外で広がって行く未来が描けていればそれでいいのではないかと思えてしまう。ラストの椋鳥のシーンはなかなか恣意的ではあったものの、「オムニス」という設定が有効に働いたようには感じられなかった。

原作にあったミルドレッドやその友人たち(彼女たちの存在により、啓蒙の重要性が語られる)、フェイバー教授との絡みや戦争(つまりディストピア的監視社会の外にも敵対する国家があるという世界観)といった要素を省き、クラリス狂言回しにしてモンターグとベイティの父子対決に焦点を合わせたのは、映画ストーリー向きのわかりやすさを優先させたかったからなのかもしれない。