マンガ、映画の感想をベースに、たまにいろいろ書いてます。


さらば愛しき女よ

評価:4.0

ロング・グッドバイ』は村上春樹訳だったので、こちらは清水俊二訳版を読んでみた。
確かに文体は違うが、マーロウはマーロウだった。
大鹿マロイは、村上春樹訳ではヘラ鹿マロイになっているようだ。まぁどちらでも大差ない。なお、ヘラ鹿の「篦」は漢字検定準1級対象漢字。おかげで書けるようになったが普段の生活ではほとんど使うこともないし、書いても読んでくれる人が少ない。
黒人差別的な表現も多々あるのだが、時代背景もある。『IT』で黒人バーが銃撃される上に火事になるシーンがあったが、この頃のアメリカはそういう時代なので仕方がない。
ハリウッドのきらびやかな社交界というのは、『ロング・グッドバイ』のレノックスたちを見ているとよくわかるが、酒と薬と金に塗れてしまっている。そんな中で、粗野な純情がどのような展開を見せるか、というのがこの物語のテーマである。
相変わらずマーロウの言動は冗談が多くて理解しにくいのだが、後から考えると大抵辻褄が合うようになっている。

きのう何食べた? 第3巻

評価:4.0

正月に帰省するシロさんと、ひとりでサッポロ一番味噌ラーメンを作るケンジが愛らしい。ドラマでの再現性の高さがよくわかる回。特に、ラーメン工程中のケンジがシロさんからの電話を無視しまくり、さらにシロさんが理由を聞いて納得する課程が素晴らしい。

きのう何食べた? 第2巻

評価:4.0

ドラマ版と同様に、料理パートとゲイあるあるパートで構成されているのだが、どちらかというとゲイネタが強い印象。シロさんがゲイっぽっくないので抵抗なく読めるが、これがケンジ主体だとここまでヒットしなかったんだろうなぁ(少なくとも私は読まなかっただろう)。
それだけ、シロさんの自家撞着気味のキャラクターが魅力的だということだろう。

きのう何食べた? 第1巻

評価:4.0

ドラマ版が面白いので原作を読んでみた。
筧史朗が思った以上に原作通りだということがよくわかった。セリフもほぼ完璧にコピーしている。史朗の母親もイメージ通り。矢吹賢二はもうちょっとナヨっとしている感じもするが、ほぼそのまま。ドラマが原作をいかに忠実に再現しようとしているのかがわかる。
そして予想通り、半分くらいはレシピ本になっている。高級食材はほとんど使わず、激安スーパーの底値を渉猟する史朗の姿がかっちょいい。こういう男性は重宝すると思わざるを得ない。

君の膵臓をたべたい

評価:4.0

活発で誰からも好かれる人気者の高校生の女の子、山内桜良(さくら)は、誰にも話していない秘密があった。彼女の膵臓は致命的な病を患っていて、余命が一年だと宣告されていたのだ。
彼女とは対照的に、引きこもり気味で内気なクラスメイトの僕は、偶然から彼女のその秘密を知ってしまう。他人と関わることをずっと拒否して過ごしてきた僕が、彼女と出会い、そして「仲良し」でいることで少しずつ成長していく物語である。
設定からしてお涙ちょうだいモノであることは明らかなのだが、主人公の僕が、何事も客観視する性質で、文体もクールな筆致で統一されているため、途中まではドライに読み進むことができる。
しかし、ある一点を超えてしまった後はもう感情の振れ幅が大きくなってしまう。この手の小説は、一気に読んでしまうに限る。涙もろい人は、人前で読まないことをおすすめする。電車の中で歯を食いしばりながら読んでしまったのだが、自宅でわんわん泣きながら読んだ方がよかったかもしれない。

パラノーマル・アクティビティ 呪いの印

評価:3.5

パラノーマル・アクティビティ/呪いの印 [Blu-ray]

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パラノーマル・アクティビティの番外編。
公開されたのは2014年なので、4と5の間に当たる。
時系列的には2012年6月なので、4の半年後、5の半年前ということになる。
舞台はカリフォルニア州
高校を卒業したばかりのジェシーとその悪友ヘクター。ジェシーの彼女のマリソルが、今回の現象の当事者。
ジェシーの家の下に住む女性アナの部屋で何やら怪しい。なぜかジェシーの同級生で優等生のオスカーがアナの部屋から出てくるところを目撃(というか録画)する。
アナの部屋で怪しげな儀式が行われていることを知るジェシーたちだったが、夜中にオスカーが屋根から逃げ、アナが殺されていることを知る。
ジェシーたちはアナの部屋で何があったのかを知るために潜入するが、そこに例のケイティとクリスティのビデオがある。
ある夜、ジェシーは農場の夢を見、年老いた女たちに囲まれていた。目が覚めると腕にかまれたような跡があった。
その後、ジェシーは不思議な力を身につける。
「儀式」によって、儀式対象者に変化が発生するのは4のワイエット(ハンター)と同じ現象。ジェシーの行動が徐々に変化していることを気にしたオスカーは、ネットでハンター失踪事件の情報を得る。そしてその事件でひとり残されたアリ・レイ(完全に存在を忘れていた!)に連絡を取り、相談するのだった。
4と5の間の作品ということで、「儀式」についての設定が小出しにされる。
また、5で「扉」の先は時間を超えることがわかるのだが、それを先取りした結末になっている。
ネットではかなり評価が低いようだが、意外としっかり作られていると思える。これまで消息が不明だったアリが再登場した点も興味深い。

騎士団長殺し 第2部 遷ろうメタファー編

評価:4.5

騎士団長殺し :第2部 遷ろうメタファー編

騎士団長殺し :第2部 遷ろうメタファー編

ようやく読み終えた。
村上春樹作品が発表されるペースにはある程度おきまりのパターンというのがある。
中編『国境の南、太陽の西』(1992年)を経てからの長編『ねじまき鳥クロニクル』(1994、5年)。
中編『スプートニクの恋人』(1999年)を経て、長編『海辺のカフカ』(2002年)。
中編『アフターダーク』(2004年)を経て、長編『1Q84』(2009、10年)。
そして中編『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』(2013年)を経て、長編『騎士団長殺し』(2017年)。
間に短編集が入るが、中編の後に長編が来るというパターンは昔からある。
改めて言うまでもなく、これは割とよく知られている。中編がいわゆるリアリズム小説の系譜で、『ノルウェイの森』はこれに当たる。その後に続く長編を生み出す前にわき出る雲のような存在だと個人的には考えている。
長編を書くのは体力が必要で、大変な作業なので、基本的に中編と長編を書いている間は、その作品に集中しているらしい。そして、書き上げて出版されたものはほとんど読み返さないという。
今回の中編と長編を結ぶのは「色彩を持たない」名前である。『多崎』では、色の名前を持つ5人の旧友たちとの思い出を、色の名前がつかない(=色彩を持たない)多崎つくるが巡礼していく、という物語だった。
これに対し、『騎士団長』では、「免色」という際立った人物が登場する。彼もまた、まさに「色彩を持たない」名前だ(「色」の字は入っているのだが)。
また、多崎つくるが旧友たちの思い出を巡礼するのと同様に、「僕」も雨田具彦の家で不思議な経験を積む。この経験と自らの選択によって生きる推進力のようなものを得る、という意味ではこのふたつの物語はよく似ている。というか、それは村上春樹の小説で繰り返し登場するテーマでもある。
『騎士団長』は、これまでの長編と同じようなテーマ(妻の喪失、父親と子、抑えがたい暴力性)が繰り返し登場するが、さらにメタファーの重複性が強調されている。主人公は、妻(ユズ)と幼くして失った妹(コミチ)、そして免色の娘であるかもしれない少女(まりえ)、「騎士団長殺し」の絵に登場するドンナ・アンナが、主人公にとって大切な守るべき存在として登場する。それらは幾度も重ねられて描写されるが、それでいてそれぞれに個別の存在として描かれている。そしてその存在は、最終的にはまた別の女の子の登場によって引き継がれる。
第2部に入ってからの展開は、やや急ぎ足のような印象を受けた。第1部の冒頭に出てきた顔のない依頼人(そういえばそんな映画があった)と、その後の主人公の記述がいわゆる物語の目的地を明確にしていて、そこに向けて急いで駆け抜けたような感じだった。