評価:
(Amazon)1975年で記憶がストップしてしまった数学者「博士」と、そこへ派遣されてきた家政婦とその息子「ルート」の話。
博士の記憶は80分しか持たない。全身に記憶の破片である「メモ」を挟み付けた博士の不思議な行動と、随所にちりばめられた数学的エピソードが心地よく「離れ」を彩る。
阪神タイガースが優勝争いをした1992年。投手は仲田、湯舟、中込、野田、葛西、猪俣、中西、弓長、田村。山田が正捕手を務め、内野手はパチョレック、和田、オマリー、久慈。外野手は八木、新庄、亀山の時代である。個人的に一番試合を見ていた頃かもしれない。それだけに、象徴的なエピソードとして登場する中込のノーヒットノーラン未遂試合、その後の湯舟のノーヒットノーラン達成、さらには6時間を超える延長戦のホームラン未遂も、すべて記憶の中に焼き付いている。
それだけ象徴的なシーズンだったこの年を舞台にして、江夏の頃の阪神しか覚えていない博士と、その時代を知らないルートの交流がとても印象に残る。
読んでいてとても穏やかで温かい気持ちになれる作品。
この世で博士が最も愛したのは、素数だった。
けれど今回は、かつて目にしたどの涙とも違っていた。いくら手を差し出しても、私が拭うことのできない場所で、涙は流されていた。
博士はルートに覆いかぶさっていた。首と両手を精一杯にのばし、絶対にこのか弱き者を傷つけてはならぬという決意をみなぎらせながら、全身でルートを包み込んでいた。
「君の利口な瞳を見開きなさい」
自分にできるのは、ほんのちっぽけなことに過ぎない。自分ができるのならば、他の誰かにだってできる。博士はいつも、そう心の中でつぶやいている。
「nを自然数として、4n+1か、あるいは4n-1か。二つに一つだ」
「もう一つ付け加えよう。前者の素数は常に二つの二乗の和で表せる。しかし後者は決して表せない」