マンガ、映画の感想をベースに、たまにいろいろ書いてます。


ボイスレコーダーの夢

その昔、創作短編などを書いていたことがある。

昨日のエントリーの『ボイスレコーダー』は、2015年に書いたもの。

shallvino.hatenablog.com

これには前日談がある。

夢日記をつける習慣があり、たまに印象的な夢の内容を書き留めていた。
このためにスマホアプリのボイスレコーダーを使って、起き抜けにメモを吹き込むことにした。
起きてから時間が経つと夢の記憶は薄れていく。時間が経つほどに、夢の記憶は掌にのせた雪の結晶のように融けていく。起き抜けなら忘れずにメモが取れるだろうという目論見だ。


昨日の夢は、誰かと「旅行会」について話している夢だった。今はもう廃れてしまったのだが、私が入社した頃は、毎月給料から「旅行会貯金」が半自動的に積み立てられ、年に一度、職場の人たちと旅行に行くというものだった。
昔はそういうのがあって牧歌的だったよね~などと話しながら、じゃあ希望者だけ募って行きましょうかということになる。
夢というのは時間がでたらめに流れるので、次のシーンでは既に旅行先になっていた。
職場の誰かの兄(自分から見れば赤の他人)と一緒に、小さな家の庭にいて、水の澄んだ池を覗いている。
水の中にはいろんな魚が泳いでいる。神戸にある私の祖父母の家のイメージに近いが、実際の家には池はなかった。きっと別のどこかだろう。
水底は砂地になっていて、その中から蛇のように顔を出す生物がいる。チンアナゴのようなものなのだ。
「これ何だっけ?」
と私が聞くと、一緒にいる人は
「これはアメンボの幼虫だ」
と答える。絶対違うと思うのだが、あまりにも自信を持ってそう言われると、そういうものかと思ってしまう。
今度は大きめの魚が砂の中から現れる。岩石のような形のゴツい頭をしている。
彼に聞くと、
「これはサバの仲間なんだけど、あんまりおいしくないんだ」
と言う。
「油で揚げればなんとか食べられるけど、好んで食べるものではないよ」
と彼。というか、別に食べられるかどうかは聞いてない。
ほかにもいくつも魚が出てきた。カメもいたような気がする。
とにかく水が綺麗に澄んでいたのが印象的だった。
小さな家の庭にあるはずなのに、清流のような煌めきに満ちている。


目が覚めたので、夢の内容をボイスレコーダーに吹き込んでみる。
不思議なことに、声に出してみると夢の内容が次から次へと思い出される。
しかも鮮明な映像も浮かぶので、夢の記憶が順序立てて整理できる。非常にわかりやすい。
これはいいと思いながら、10分くらい事細かにボイスメモを取った。
満足。
後はこれをノートに書き出せば、しっかりした夢日記ができあがるじゃないか。
ボイスレコーダーというのはいい思いつきだ!


と。
実はここまで夢に見た話。
この直後に本当に目が覚めた。
もちろん、ボイスレコーダーには何も録音されていない。
あんなにしゃべったつもりなのに。
忘れないうちにと思って、この後本当にボイスレコーダーを立ち上げたのだが、頭の中の言語神経回路がまだちゃんと覚醒していないので、まったく要領を得ない。
夢の中ではあれほど朗々と記憶を思い出しながらボイスメモができたのに、実際のボイスレコーダーには、
「ええと……なんだっけ? ……。……なんか、魚がいっぱい……ZZZ……zzz……」
という感じ。
しかし、夢の中で記憶の整理をしたおかげで、時間が経っても細部はしっかり覚えていた。夢の中の夢の話をここまで鮮明に思い出せるのはなかなかない。
実際のボイスレコーダーには結局何の役にも立たなそうなうめき声しか録音されていなかったが、記憶の定着には役立ったようだ。


夢は記憶の再構成であるという説があるが、夢の中で夢の記憶を再構成するというのは初めての体験だった。
夢を夢として客観視しながら、自分自身はまだ夢の中にいるという感覚。
しかし、夢と現実の境界が徐々に曖昧になりそうな恐怖心がなくもない。

これが、『ボイスレコーダー』を書く数日前の夢日記を元に書き起こしたもの。
普段ここまで詳しく書くことはないのだが、このときは確かにかなり精密に書いている。
で、ここから「ボイスレコーダーに何も録音されていない」という落ちから作ったのが『ボイスレコーダー』である。

なお、その後夢日記用のボイスレコーダーは使っていない。おかげで夢の内容は昨日のものもぼやけて思い出せない。