マンガ、映画の感想をベースに、たまにいろいろ書いてます。


第9話 事情聴取

ええと。約3年ぶりでしょうか(汗)。

『ハルとラクダ』 index

 困った状況だと思う。
 ここは事務所だ。小金井の片隅にある小さなレンタルビデオショップ『マリオ』。そのカウンターの奥にある狭い部屋だ。カウンターとの間には暖簾があるだけのスペースだ。
 店の前には「準備中」の札を出しておいたので、客は誰も入ってくることはないだろう。ビデオの返却に訪れる客は、店の前の返却ボックスを利用すればいい。平日の昼間というのは、それほどレンタルビデオ屋が混む時間帯ではないのだ。
 事務所には折り畳み式の長テーブルとイスがあり、機材やダンボール箱が所狭しと積み上げられている。壁際にモニターが三台あり、一台には常に店内のビデオカメラの映像が映し出されている。ほかの二台はビデオデッキやDVDプレイヤーと接続されており、再生状態をチェックするために使われる。
 ぼくの目の前には、ぼくを睨みつけるようにして、鈴里サツキが折り畳みイスに座っている。狭いので膝と膝が当たりそうなくらい近い。
 腕組みをするサツキの胸元に思わず視線が向いてしまう。ごくり。つばを飲む。サツキは、紛れもなく巨乳だった。断言してしまって差し支えない。ハルやアイビーエムと一緒にいたときには気付かなかったが、ここまで至近距離でつきつけられてしまうと、意識するなと思っても無理だ。視線がそちらに引きつけられてしまう。握り締めたコブシに汗を感じる。
「ふん」
 サツキが鼻を鳴らした。どうやら視線に気付いたらしい。当然と言えば当然だ。何しろサツキはずっとぼくを睨みつけているのだから。
「あなたが何を考えているかは大体わかるわ」
 サツキは言った。
「あなただけじゃないわ。……男はみんな同じ。でもそれはどうしようもないことなの」
「……」
「可愛くて。頭がよくて。スタイルよくて。男はそういう女の子に弱いのよ。そういうことになっているの」
 サツキはテーブルの上に置いてあったボールペンを手に取った。ボールペンがサツキの指の間で軽快に回る。クルリ、クルリ、クルリ。
「だから困る必要はないわ。私も、そういうのに慣れてるから」
 ぼくは何も言い返すことができなかった。自意識過剰、と言いたいところだったが、彼女には何かしら他の者を威圧するオーラのようなものを感じた。目元には化粧っ気はなかったが、大きく見開かれた目には力があった。見つめられると――というよりは睨みつけられているのだが――反抗する気がどんどんしぼみ、言葉を返すことを諦めてしまいそうになるのだ。ハルとはやはり、根本的にタイプが違うようだ。
「それに」
 サツキはぼくを見つめて蟲惑的な笑みを浮かべた。
「嫌いじゃないし。そういうの」
 これは完全に見下されているな、とぼくは思った。サツキはこういう態度をとることに慣れているようだ。そしてそれが実に似合っている。ハルには絶対にできない表情だ。
「まいったなぁ」
 とぼくは言った。
「どうやら君が言ったとおり、君にはぼくが何を考えているのか手に取るようにわかるらしい」
 サツキは二度うなずいた。
「当たり前じゃない」
「でもそれはそれで逆に手っ取り早いのかもしれない。つまり、君は充分に聡明で、現在の状況を判断する能力には問題がないということだ」
「それに、可愛いし」
 ぼくは心の中では認めたが、表面には出さず無視することにした。これ以上彼女に主導権を与えるつもりはなかった。
「さっきも言ったけど、今ぼくたちは少々厄介なことに巻き込まれているんだ。今の状況がどういうことか判断できるのは、君しかいないのかもしれない」
 ここは彼女の自尊心をくすぐるのが最良だとぼくは考えていた。
「ハルもアイビーエムも頼りにならないんだ。……ぼく自身も含めてだけど。これがどういう状況なのか、さっぱりわからない。『ラクダ世界』? そんなの、わけわかんないよ。それが何だっていうんだ。君がどうやってここに来たのか? ラクダはいったい何者なのか? なぜぼくたちのことを知っているのか? なぜラクダからのメールは途絶えてしまったのか? その疑問は、ぼくたちだけではいつまで経っても解けない謎だと思うんだ」
「……」
「それを解明するには、どうやら君の力が必要らしい。君はそのために現れたんだとぼくは思う」
 ぼくは一気にまくしたてた。自尊心の強い子はこういう言葉に弱い。家庭教師のアルバイトで何人もの生徒の面倒をみていた頃の経験が、ぼくにそう確信させていた。
「『ラクダ世界』、ねぇ」
 サツキはそう言うと、コピー用紙にサラサラと文字を書いた。
 どうやらサツキも乗ってきたようだ。
 サツキが紙に書いたのは『ラクダ』という文字だった。
 コツコツコツ、とボールペンの先で音を鳴らす。
「はっきり言って、あなたたちの言ってるその『ラクダ』っていうのが何者なのか、さっぱりわからないわ」
 グルリ、と『ラクダ』を囲むように楕円を描く。
「登場人物は三人。ハルとフランクとあなたね」
「そして四人目が君なんだ」
 サツキは下から睨みあげるようにぼくの目を見返した。口を挟むな、ということらしい。
「ハルとフランクとあなた。そしてラクダ」
 飽くまでも自分は無関係だということだろう。サツキは紙に書いたラクダの周りに三人の名前を並べた。
ラクダはまず、ハルの携帯にメールして来たわけね」
 ラクダからハルに、矢印を一本描く。
「そしてハルはこのビデオ屋に来た。ここで、ハルとあなたが出会ったわけね」
 ぼくはうなずいた。サツキは『マリオ』と書いた。このビデオショップの名前だ。そしてハルからマリオに矢印を描く。
 ハルがここで「ここはもうラクダ世界なんですか?」と聞いた日のことを思い出す。もう何年も昔のことのような気がする。
「ここにはあなたがいて、ハルはあなたと出会い、『ラクダ世界』が始まったわけね」
 ぼくとハルを線で結び、マリオに矢印を描く。
 さらにラクダからマリオに矢印を描き、『ラクダ世界』と書き加える。
「ハルとフランクは……玉川上水で出会ったんだっけ?」
 そう言ってサツキは眉間にしわを寄せた。よく手入れされた眉が、しわの間から流れる出る川の流れのようになめらかな曲線を描いている。
 ハルとフランクを線で結ぶ。線の上に玉川上水、と書く。
「そしてハルに連れられてここにやってきたわけね」
 フランクからマリオに矢印を描く。
 サツキの眉につい見とれていたぼくは、何かが頭の中でひっかかるのを感じていた。
 サツキも何か感じているようだ。
 アイビーエム……。
 なぜ彼はこのラクダ世界にいるのだろう。
 よく考えれば不思議だった。
 彼はいつの間にかここにいて、ぼくとハルのいるラクダ世界の住人になっていたのだ。
「フランクは、ラクダとの直接的な繋がりがないわね」
 それがサツキの答えだった。
 ぼくがうなずいたのと、アイビーエムが店に戻ってきたのはほぼ同時だった。
「はちみっつレモン、どうぞやろ?」
 カウンターと事務所を隔てる暖簾から、アイビーエムの長い顔が覗いた。
 確かに、アイビーエムとラクダには直接的な繋がりはない。
 でも、とぼくは考える。
 よく考えてみればラクダは、サツキともぼくとも直接的な繋がりはないのだ。
 ラクダと繋がりがあるのは、事実上ハルだけだ。
 ラクダからのメールに誘われてハルがここにやってきた。
 そしてここがラクダ世界だと定義された。
 そこにアイビーエムがやってきた。
 ラクダからのメールが途絶え、さらにサツキが突然現れた。
 ここがラクダ世界かどうかはともかく、ぼくたちがいるこの世界には常に謎が満ちていて、それはますます深まるばかりだ。
「ありがとうフランク。気がきくわね」
 サツキはそう言ってはちみつレモンのペットボトルを受け取った。ぼくは「頼んだのは君だろ」という言葉を飲み込んだ。ここは口を挟むべきじゃない。ぼくにだって少しくらい空気は読める。
 サツキはフフン、と笑った。
「どうやらこれは私に対するラクダからの挑戦状と見て間違いないようね」
 ぼくは相槌を打とうかどうしようか迷ったが、サツキは流れるように話を進めた。
「全てはそうなるように仕組まれてたわけよ。私というスーパーかわい子ちゃんヒロインが、悪の枢軸ラクダ博士に狙われた可愛そうなあなたたちを、平和な世界に戻してあげる、というシナリオね。いいわ。受けてあげましょう。そして徹底的に謎を解明してあげるわ」
 サツキは立ち上がってペットボトルの蓋を開けた。
 ぷしゅっという空気音がして、サツキはまた笑った。
「彼女が戻ってきたら、きっとまたひとつラクダ世界に謎が増えるはずよ」
 サツキは確信したようにそう言うと、はちみつレモンを一口飲んだ。この予言は、半分当たって半分外れることになる。