マンガ、映画の感想をベースに、たまにいろいろ書いてます。


『ソーシャル・ネットワーク』 マーク・ザッカーバーグの半生

評価:4.0

2010年、アメリカ。

このところホラー映画やホラー作品(ぶっちゃけると『ほん呪』シリーズ)ばかり観ていたのでちょっと疲れてしまった。というわけで、Facebook創始者であるマーク・ザッカーバーグの半生を描いたこの作品を視聴した。

舞台は2003年秋のハーバード大から始まる。マーク・ザッカーバーグは、友人のエドゥアルドとともに、学生寮の学生写真を各サーバーにハッキングして集め、「どちらが可愛いか」を答えさせるというジョークサイトを立ち上げ、一夜のうちに有名となる。

これに目を付けたキャメロン・ウィンクルボスとタイラー・ウィンクルボス、そしてディビヤ・ナレンドラらが近づき、ハーバード大学SNSを作ることに協力しないかと持ちかける。

マークはこれに協力するふりをするものの、実際に作り始めてみたところ、これを「ザ・フェイスブック」として勝手に立ち上げてしまうのであった。

実際にFacebook設立を巡って争われた裁判をベースに、この経緯について事情聴取を受けながら当時の状況を思い出すというのが、この映画の序盤の展開となっていく。

物語としては、ハーバード大を拠点とした前半から、ナップスターの創設者ショーン・パーカーとの邂逅を機に一気に加速していく。マークのどちらかというと特異な性質が、ショーンという別世界のパラノイア的キャラクターに出会ったことで、マークの見えていた世界がさらに広がっていくのは、観ていてまぶしいほどだった。

スティーブ・ジョブズ』も観たような気もするが、よく覚えていない。改めて観てみるか。

この手の映画をどこかで観たことあるなぁと思って過去の文章を探していたら『サベイランス -監視-』が出て来た。すっかり忘れてたけど、イラストまで描いてた。

『ズーム/見えない参加者』 面白半分で真似しないように

評価:3.0

2020年、イギリス。原題は『HOST』。

コロナ禍ならではの映画。Zoomなどのツールを使ったWeb会議はもはや当たり前のものとして定着してしまったが、割と早い段階で映画が作られることになったらしい。

外出規制が続く中、知り合い同士でWeb会議システムを使った『交霊会』をすることになる。この会を呼びかけたのはヘイリーで、近所に住むメガネをかけたジェマ、父親と住むキャロライン、男性パートナーと同棲を始めたラディーナ、そして唯一の男性テッドを含めた5人に、霊能者のセイランが加わることで、交霊会が進んでいく。

Web会議あるあるも随所に散りばめられている。自分が映った動画を背景に流して「分身」したり、通信環境によって画面が固まったり、通信が切れたりなど、我々がよく経験する現象が出るたびに、「あるよなぁ」と思うのである。これが、いつの間にか「リアリティ」に感じられてくるから不思議である。

会が進むうちに、ラップ音に似た音がして玄関に行くセイランだが、しばらくして戻ってくると「宅配便だった」と緊張感をほぐしてきたりする。ああ、まさによくあるやつだと思うとともに、「ひょっとしてこの映画はそんなに怖くないのではないのか」という安心感につながっていく。

しかし、あることをきっかけに場の空気がガラリと変わっていくのであった……。

映画の本編終了後に、スタッフと出演者たちが実際に映画撮影前に行った『交霊会』の試行実験があるのだが、基本的にやり方は全く同じだったのが興味深い。面白半分で真似しないように祈りたい。

『ドント・ブリーズ』 息殺し系ホラーの原点

評価:4.5

2016年の作品。

『クワイエット・プレイス』という息を潜めるホラー作品の原点と言えば、この作品である。

デトロイトで暮らすマニー、ロッキー、アレックスの3人は、小遣い稼ぎとして空き巣を働いていた。アレックスは父親が警備会社に勤めていて、防犯セキュリティシステムに詳しく、主にアラート解除のサポート役を務めていた。しかし、根は善良な小市民で、彼らの行為が大罪にならないように、3人の犯罪行為の抑制役でもあった。

マニーは見るからに粗暴な男で、家宅侵入により盗んできた品物を、反社会的組織に売るパイプ役にもなっていた。ある時、組織から大金がありそうな家の情報を入手し、ロッキーとアレックスに金目当てで侵入しようと持ちかける。

ロッキーは、マニーの恋人であり、アレックスが密かに想いを寄せるヒロイン。家では母親が男を連れ込み、居場所がなく、大金があれば妹と一緒に新しい生活を始められると夢想していた。彼女はマニーが持ち込んだ話に興味を示し、渋るアレックスを説得する。

マニーが持ってきたのは、ゴーストタウンにある一軒の家の話だった。湾岸戦争の退役軍人の家で、最近ひとり娘を交通事故で亡くしたという。娘の命を奪ったのは金持ちの娘で、示談金として大金がその男の懐に入ったのだ。今回の標的は、その家にあるというその示談金だった。

マニーがその家の出入りを調べたところ、近隣の家は無人で、その男もほぼ家から出ないという。凶暴な黒い犬を一頭飼っているが、男は失明していて、大金を手に入れるのは容易にも思えたのだが……。

クワイエット・プレイス』でもそうなのだが、やはり息を潜めるホラーというのは観客としても緊張感が増す。観終わった後の達成感に似た疲労感がまた、癖になるのだ。

特にこの作品では、暗闇の中で息を潜めて逃げるシーンが多いのだが、そういえば『REC』のラストもそうだったと思い出した。いずれも、相手が盲目という共通点があり、盲目の襲撃者にとって暗闇は好材料でしかないのである。

どうやらこの作品も続編があるということなので、近いうちに観ることにしよう。

『クワイエット・プレイス 破られた沈黙』 父親リーとの対比の妙

評価:4.0

2021年公開の作品。

第1作『クワイエット・プレイス』では、壁にスクラップされた新聞記事などでさらりと触れられていた1日目(The Day)のシーンが改めて再現される冒頭は圧巻。限られた人数だけで撮影された第1作に比べて、冒頭のシーンはとても贅沢に映る。

息を潜めて音を立てないようにする登場人物たちに合わせて、視聴者もまた一緒に息を潜めるのは、ホラーの構造としてはとてもよくできている。今回もまた、無謀とでも言いたくなるような一家の行動に、時に腹を立て、時に一緒に息を潜めて見守る展開は健在だ。

前回は「家」の周辺に限られていた行動範囲が、今回は広がっていく。生き残ったのは彼らだけではなく、その先に生存者がいるかもしれないという期待感は、『ウォーキング・デッド』シリーズなどのゾンビサバイバルホラーによくある王道的なものではあるが、王道だからこそ観客もその流れに乗りやすい。

また、前作で失われてしまった父親リーの信頼感・存在感もまた、この家族にとって大切なものである。新たな登場人物であるエメットは、その父親リーとの対比が鮮明で、ある意味で期待を裏切らない。家族を守って生存の道を探し続けたリーというヒーロー的人格に対し、家族を守り切れずに自らのテリトリーにこもってしまったエメットの人格は、平凡なひとりの人間として真実味がある。

だからこそ、家族と一緒にいることでエメットの中に生まれる変化が、子供たちの成長と相まって、心に深く染みるのだ。

低予算で作られてヒットした前作、そして売れたことで予算が大幅に増えた続編として作られた今作だが、家族の成長ヒストリーとしてもよくできていて、個人的には非常に楽しめた。毎度のことながら、無謀すぎる各キャラクターの行動には怒りすら覚えるのだが、それがなくてはこういうハラハラする展開にはならないので、仕方ないのだろう。

どうやら次回作も製作されることが決定しているので、また彼らの行動にヒヤヒヤするのを我慢しながら観てみたいと思う。

『ひまわり』 ひまわりの下に葬られたもの

評価:5.0

1970年の作品。

舞台は第二次世界大戦中のイタリア。恋に落ちた男と女が戦争という非日常に翻弄される悲恋を描く。

主人公はソフィア・ローレンが扮する陽気な女性ジョバンナ。彼女は、マルチェロ・マストロヤンニが扮するアフリカ戦線行きが決まっていた兵士アントニオと恋に落ちる。結婚することで12日間の休暇が得られ、戦場行きが遅らせられるということで彼らは結婚し、短い期間ながら恋の炎が燃え上がる。

休暇が終わる頃には、もっと長く一緒にいたいと思うようになり、アントニオが錯乱したという狂言を演じ、精神病院に入院して出征を免れようとする。しかし、これが当局にバレて最も過酷なロシア戦線に送られることになってしまう。

アントニオはジョバンナに、お土産に毛皮を持って帰ると約束してロシアに向かうのだが、第二次世界大戦が終わった後も消息が不明のままとなってしまうのであった。

ジョバンナは、アントニオの母とともに彼の帰りを何年も待つが、ある時ついにアントニオの消息を知る兵士に会う。彼は、冬のドン河(現在のウクライナ国境の東側を流れる川)を敗走している最中、アントニオが力尽きてその場に置いてきてしまったと語る。

この話を聞いたジョバンナは、アントニオの写真だけを頼りにロシアに乗り込むことになる。

このとき、ジョバンナがたどり着いたのがこの映画の最も印象的なシーンとも言える地平の向こうまで一面に広がるひまわり畑である。その畑の下にはイタリア兵士やロシア捕虜が眠るという。

ジョバンナはアントニオがこのひまわり畑に葬られたとは信じられず、イタリア人がいるという噂をたどってある村に着き、ついにその消息をつかむのだが……。

あらすじはなんとなく知っていたが、映画の最初のシーンから流れるテーマ曲もどこかで聴いたことのあるものだった。名作映画の楽曲は生活の中に定着していくものだなと改めて思ったものだ。

戦争に引き裂かれた恋人同士が、自分たちではどうしようもない時代の流れによって人生を狂わされてしまう悲哀に満ちたストーリーだが、よく考えると彼らが蜜月の時間を過ごしたのは、出会ってからわずか二週間程度のものなのだ。しかし、時間の長さと人の愛情の深さは比例しない。短いからこそ深くなることもあるのだ。

一方で、戦争に引き裂かれた彼らの間に流れた時間はあまりに長く、関係を修復させるにはもう引き返せないくらいのものが積み上がってしまっていた。あの一面のひまわりの下には、イタリア兵士たちとともに彼らの関係こそが葬られてしまったのである。

映画で撮影されたひまわり畑は、ウクライナの南にあるヘルソン州だと長年伝わっていたが、最近のNHKの取材では、ポルタヴァ州のチェルネーチー・ヤール村だったことが明らかになった。戦争という不条理に人々の生活が翻弄されるのは、75年以上経った現代もウクライナの地で繰り返されているのだという事実が心を塞いでしまう。しかし、だからこそ今、我々が観るべき映画なのかもしれない。

『クワイエット・プレイス』 静かにしていないと襲われる

評価:4.0

静かにしていないと襲われる。

地球に飛来した隕石とともに、正体不明の地球外生物が飛来し、人類が滅亡したかのような世界になってしまった。

舞台はすでに世界がその生物に掌握されてしまった約2ヶ月後から始まる。

そこには地下室に身を潜めて暮らす5人の家族がいた。その生物はどうやら、音に反応して人を襲ってくるらしい。その家族は、耳の聞こえない娘とのコミュニケーションに使っていた手話を駆使しながら、音を立てない生活をしていて隠れ住んでいたのだ。

家族は必要な物資を手に家路を急ぐのだったが……。

作品を通して、魔物に襲われないように息を潜めている場面が多いので、スリリングさは増すものの、非常に疲れる映画になっている。

映画館で観たら、きっとポップコーンを食べるのも憚られるような状況に陥ってしまうであろう。肩に力が入り、登場人物ともに息を潜めるので、観終わった後はぐったりしてしまった。しかし、この疲れはある意味達成感にも通じるものがあり、嫌いではない。

声が出せないということは、襲われたりびっくりしたり、痛みを受けたりしても黙っていなければならない。これがなかなかに辛い。

しかもこの物語の中では理不尽なまでに窮地が幾度も幾度も波状攻撃のように押し寄せてくる。

どうやら続編もあるようなので、そのうち観ようと思う。体調を万全にしておきたいのは言うまでもない。

『IT/イット ”それ”が見えたら、終わり。』 原作を忠実に再現したことが素晴らしい

評価:4.0

オリジナルの『IT』が公開されてから約30年。当時から原作を読んでから観ようと思っていたものの、原作になかなか手を付けられないままいつの間にかその存在すら忘れていた。
この作品が発表されて、いよいよ原作を読んで1990年版『IT』を視聴したのがもはや二年前(汗)。
ここにきて、ようやく観ることができました。
いやはや、長かった。
そして、1990年版の『IT』に足りなかったはみだしグループの悪たれ、バワーズの狂気、デリーという土地の呪われた感、地下水路の迷路感など、小説の中で確実に存在していた想像力をかきたてる厚みのある恐怖感が、映像となってきちんと再現されていました。
ペニーワイズの存在についてはこれに続く『THE END』に持ち越しですが、前半としては再現性の高さに感服しました。
ホラー映画的な視点から言えば、逆に物足りなく思ってしまう面もあるかもしれませんが、それはそれ。やはり原作の持つ雰囲気をきちんと再現したということを高く評価したいと思います。
なんだかすっきりしました。安心して後編に進めそうです。