海辺のカフカ〈上〉 海辺のカフカ〈下〉(Amazon)
昨日、村上春樹の新作海辺のカフカを買ってきました。
アメリカの同時多発テロのちょうど一年後にあわせたのかどうなのか、真相は例によってわかりませんが、なんとなく節目の感があります。
村上春樹の長編といえば、有名なのはやはりノルウェイの森。村上春樹の名を一躍世の中に知らしめたベストセラーです。ぼくがはじめて村上春樹の作品を手にしたのも、このノルウェイの森でした。
そのころはまだ、ビートルズも酒の味も知らない高校生。あらゆる村上春樹的なものと無縁な高校生でした。
あれから十年以上の月日が流れました。
ぼく自身、未だに村上春樹の文体の魅力からなかなか卒業できないでいます。
その文体は心地よく、今でも柔らかな水のように身体を包み込んでくれるようです。
今朝の通勤電車の中で、買ってきたばかりの海辺のカフカ(上)を読みながら、ふと考えました。
やはり、ぼくの文章はここから始まったのだ、と。
それはスタートであり、同時にまたゴールでもあるのだ、と。
そこから生まれたものは、やはりそこにしかたどり着けないのかもしれない、と。
そんなことを考えていると、文章に集中できなくなってしまいます。
でも、村上春樹の文章を読むときはいつだってそうなんです。
いろんなことを考えます。
主人公について。それをとりまく人々について。音楽について。文体について。
そして、ぼく自身について。
これからもそのスタイルが続くとは断言できませんが、少なくとも今、ぼくがこの本を読むことは、自分自身について考えをまとめるちょっとした契機になりそうな気がします。
ある秋の始めの頃。満員電車に揺られながら。