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小林多喜二である。
なぜに今更『蟹工船』なのかと問われれば、例の『DS文学全集』である。ヨドバシカメラで見かけたところ、安かった上になぜかトップセールスを記録していたため、ついつい買ってしまったわけである。すっかりハメられているのである。
なにもDSで電子書籍を読まなくても、EM-ONEにブンコビューワーもあるわけなので、青空文庫からダウンロードすればいい話である。
でも買ってしまったのだから仕方ないのである。読まずにいられないのである。
例によって、エアロバイクやりながら読むわけである。
選んだのは『蟹工船』である。そういえばプロレタリア文学って毛嫌いして読まなかったのである。
プロレタリア文学を読む前にはやはりロシア文学を経由しなければならないと思い、『アンナ・カレーニナ』から入ろうとして、挫折した記憶があるのである。ヴロンスキーがどうしても生理的に受け入れられなかったからだという噂もあるが、定かではないのである。『カラマーゾフの兄弟』から入っていれば違ったのかもしれないが、それ以降ロシア文学恐怖症にかかってしまったのだから仕方がないのである。
そんなわけで、『蟹工船』である。今更初読である。
エアロバイクやりながら片手で読むので、タッチペンではなく、十字キーでページをめくるのである。
縦持ち(DSの画面が見開きになるような向き)だと、十字キーの位置がイマイチしっくりこないのである。
一時間も同じポーズでDSを持っていると、右手の親指の付け根がピキピキとしてくるのである。
しかも読んでる本がよりによって『蟹工船』である。身体的苦痛や労働の辛さ、労働者が人間扱いされない不条理さの描写ばかりである。
疲れること甚だしいのである。
でもその疲れがまたちょっぴり嬉しいのである。別にマゾではないのにである。いやちょっぴりその気はあるのかもしれないのである。いやないこともない程度かもしれないのである。まぁどっちでもいいのである。不思議である。
画面の解像度が低いので、文字は大きめである。読みやすくはあるが、一ページに表示できる文字数が少ないので、ページ数が膨大になるのである。分厚い本は大変である。
でも本棚に並んだ本の背表紙の厚さで、その本がどれくらいの分量なのかがわかるのはちょっと嬉しいのである。小憎らしい演出である。今日は時間がないから薄い本にしとこうとか、そういう感覚がうまくシゲキされるのである。うまいのである。
それにしてもである。
DSのおかげでまた活字読みたい病が出てきたのである。ニンテンドーは商売上手である。出版業界にとっては嬉しい話である。文学全集がイッパイ出てきそうな雰囲気すらあるのである。本棚に優しいのである。ちょっと読みたいけど買うまではいかないなぁという本が数冊入っちゃったりすると、ついつい買っちゃうかもしれないのである。よく考えれば読みたい本だけ買った方が安いんだけど、でもそんなの関係ねぇのである。うまいとこ突いてるのである。確変入りましたである。
でも個人的にはLIBRIeをもう一度ひっぱり出すのである。やっぱり専用端末の方が断然読みやすいことを再認識したのである。
ニンテンドーに感謝しつつ、SONYのLIBRIeに再び電源を投入するのである。電池切れである。充電中である。読めないのである。もういいよ、やっぱりDSで読むのである。やれやれである。
そういえばダイエットの話題書いてないのを思い出したのである。実は最近またダイエットを始めていたのである。mixi日記で絶賛連載中である。もちろん自称絶賛である。あてにならないのである。
今朝の時点で6.2kg減(8/29から)である。
飲み会が続くとなかなか減らないのである。しばらくは文学読みながら自転車漕ぐのである。
今回はちょっとくどかったである。正直すまんかったである。