評価:4.5
ブラウンシュバイク公たちを賊軍呼ばわりするラインハルト。
ロイエンタールとミッターマイヤーがオフレッサー上級大将と白兵戦を繰り広げる。
捕らえたオフレッサーを解放することでブラウンシュバイク・リッテンハイム陣営に疑心暗鬼のタネを撒く。
辺境に逃げたリッテンハイム公をキルヒアイスが追い、リッテンハイムは禁じ手を打って逃げ惑う。
いよいよあのシーンに向けて物語がながれていく。ああキルヒアイス。
評価:5.0
アーサー王亡き後の英国を舞台とした、ある老夫婦アクセルとベアトリスの物語。
古くからその土地に暮らしてきたブリトン人と、大陸からやってきたサクソン人の集落が点在する時代。
平和に暮らしていた老夫婦だが、過去に起こったあるできごとのせいで、夜中に蝋燭を灯すことを禁じられていた。しかし、それが何のためだったのか、村の人々も老夫婦にも記憶がなかった。記憶の欠落はそれだけではなく、ちょっとしたことから大切なことまで、あらゆる記憶が少しずつ欠落しているのであった。
老夫婦は、かつて生き別れた息子を探し求めて旅に出る。そして、その記憶の欠落の原因を知るのであった。
アーサー王の甥ガウェイン卿、沼沢地から来たサクソンの戦士ウィスタン、そして鬼に噛まれた傷跡によって村から追い出される少年エドウィンと出会い、旅をすることによって老夫婦は何を得、何を失うのか。
現実と非現実が入り交じる中世の風景の中で、抽象的な表現も多い。よくわからない存在が随所に登場して、ともすれば読者は置いてきぼりになってしまう。アクセルとベアトリスの会話も、たまに支離滅裂になったりする。記憶がところどころ欠落している上、たまに鮮明な記憶が蘇るのに、それを表面に出すと相手を傷つけてしまうからと、取り繕ったりするのでまた会話が混沌としてくる。
ファンタジーというベースの中にありながら、全体的に霧のかかったような雰囲気が漂い、情景が把握できない状況にしばしば陥るこの物語は、ファンタジーという枠には収まらないし、かといって文学の概念からも外れているように思える。しかし、老夫婦の旅とともに明らかになる事柄や、旅がもたらす心情の変化、さらに老夫婦が最後に到達する地点は、やはり文学的示唆が感じられる。そこまでの旅の中で幾度も繰り返される暗示によって、彼らがふたたび相見えることはないのだと、読者は確信にも似た心地になる。それでいて、作品としては結末を明示せず、読者に委ねられている。
読んだ直後は唐突な終わり方に思えてしまったのだが、時間が経つにつれて、それはそうあるべきだったと、すとんと腑に落ちるように思えた。
『私を離さないで』の中で、施設の登場人物たちが「そこにある秘密」についての話題を避ける描写があるが、カズオ・イシグロの作品の中ではこれは繰り返されるテーマのように思える。読者はわかっているのに、登場人物は気づいていない(もしくは気づいているのに気づかぬふりをし続ける)のは、ドリフのコントで言うところの「シムラ、後ろ! 後ろ!」なのだ。
『忘れられた巨人』でもやはり同じで、アクセル自身も忘れてしまった過去については、読者はかなり早い段階で気づくように仕掛けられている。そして読者はそれがわかっていながら、気づかないアクセルに寄り添って旅を続けていくことになるのだ。
こういうところがカズオ・イシグロの文章の気持ちいいところなのかもしれない。
気づけば書評や鑑賞日記だけになっていました。
今年は積ん読になっていた紙の本もどんどんスキャンして読んでいるので、マンガ以外の読書も地味に進んでいます。
遅読の私にしては、長編(『IT』は4冊!)も含めてかなり読んでる年になりました。
今は『忘れられた巨人』、『四つの署名』、『そして夜は蘇る』を読んでいます。
それと並行して、漢字検定の準1級の勉強もしています。6月16日に試験があったんですが、自己採点結果が148点(200点満点)でおそらく不合格です。
こればっかりは地道に覚えるしかないので、時間を割いて再挑戦するしかありません。
そんなわけで、合間を縫ってぼちぼち更新していきます。
評価:3.5
一登を追う千里は、正体不明の刑事若園に近づく。
若園はネズミのことを「火の男」と呼んでいた。それは、千里が奴のことを呼ぶ名前と同じなのだった。
若園と関わることで、火の男の新たな側面が明らかになる。
新たな手がかりを元に千里と恵南は伊豆半島を目指すのだった。
火の男と一登の目的は一体何なのか。